悪口の起源
——人類の社会性と進化的ミスマッチ
人の会話は、その6割から7割が他人についての話です。狩猟採集民の会話でも63%が他者の評価に費やされ、その大半は批判でした。悪口を言う心は、30人の隣人に囲まれた環境に適応したものかもしれません。この報告は、そこへ際限のない社会的情報が流れこむ事態を「進化的ミスマッチ」として捉えます。
人は人について語り、しかも否定的に語る
私たちの言語使用の総体を調べるのは簡単ではありませんが、一種のサンプリング調査はしばしば行われてきました。人類学者のロビン・ダンバーらは、カフェテリアのような公共空間での会話を記録しています。すると会話時間の6割から7割が、人間関係や自分の体験といった、広い意味で社交にかかわる話題に費やされていました(Dunbar et al. 1997)。仕事もスポーツも芸術も、どれも1割以下です。
同じ傾向は、イランでのペルシャ語会話の調査でも見られます(Dahmardeh and Dunbar 2017)。都市に住む人々にかぎった話でもありません。定住せず小集団でキャンプを移動する狩猟採集民、ジュホアンシの会話調査によると、会話の63%が他者の評価、つまりゴシップでした。しかも、その大半は批判的なものです(Wiessner 2005)。
もちろん、これが言語使用のすべてではありません。私たちは歩きながら徳とは何かを論じることもできますし、科学的な観察について思慮深い手紙を送り合うこともできます。ですが、匿名掲示板やSNSには有害な言語現象があります(和泉ほか 2023, 2024)。それを踏まえると、哲学者や倫理学者が模範とするような理性的な対話は、言語使用のごく一部、その極小的な断片にすぎないのではないか、と思わざるをえません。
だとすると、ゴシップや悪口は言語使用の周縁ではなく、むしろ中心を占めることになります。悪口を検討する哲学や倫理学は、応用的な派生ではありません。人間とは何かという問いに正面から取り組むために必要な、基礎的な探求かもしれないのです。
悪口はヴァーチャルな劣位化である
悪口とはそもそも何か。この問いへの答えそのものは、この報告の目的には必須ではないため、概要だけが述べられます。悪口は「ヴァーチャルな劣位化」として理解できる、というのがその立場です(和泉 2023a, 2023b)。悪意や不快さといった心理的な要素ではなく、人間同士の関係性という社会的な要素で分析する試みになります。
劣位化とは、ジェレミー・ウォルドロンが「ランク」として論じた尊厳を下げることです(Waldron 2012)。発言権を奪うこと、拷問にかけること。それが明らかな例です。一方で自然言語は、形容詞や敬語といった待遇表現を通じて、人々の順序関係を含んだ「共有基盤」を更新します(Stalnaker 2002)。共有基盤は心的表象ですから、悪口はその意味ではヴァーチャルなものにとどまります。ただし、非人間化のレトリックを含むヘイトスピーチのように、劣位化を実際に実現させる言語現象も存在します。
甘いものを好む心が、糖の摂りすぎを招く
心理学者のエイミー・リムらは、ソーシャルメディアの使用が引き起こす危害を理解するために、「進化的ミスマッチ」という概念を使います(Lim and Tan 2024)。ヒトの心理メカニズムが進化した環境と、いま私たちが暮らす環境とのあいだにずれがある、という単純な発想です(Li et al. 2018)。
甘いものを好む傾向がその一例になります。人類は長いあいだ、限られたカロリー源しかない環境で暮らしてきました。果物や芋やはちみつを頻繁に選んで食べるほうが、生存には有利だったはずです。しかし現在の環境には、精錬された糖を加えた高カロリーの加工食品が大量にあります。メカニズムのほうは更新されていません。したがって同じ傾向性が、糖の摂りすぎという有害な帰結を招きます。
では、ソーシャルメディアの使用にかかわる心理メカニズムは、どのような環境に適応したのでしょうか。リムらはダンバーら人類学者の研究を踏まえ、それを小規模な狩猟採集生活だとします。人々は30名ほどでキャンプ生活を送り、しばしば複数のキャンプが合流して150名程度の共同体を作っていた、と想定されています。
そこでは文字通り一人では生きていけません。老いも若きも依存し合い、作業を分担することで生をつなぎます。だから私たちは、円滑な人間関係を保って共同体に所属するための傾向性、つまり向社会性を進化させたと考えられます。リムらはそれを、三つの考え方に依拠して理解します。
旧来の環境では、この三つが対人関係を調整し、共同体に受けいれられることを保証しました。しかしデジタル環境ではそうなりません。一生のうちに出会う他者はかつて30人や150人でしたが、いまは何千何万という人物の情報に毎日さらされます。社会的モニタリングが働くため、そこから目を逸らすこともできません。
しかも、自分の人生とほとんど関係のない人間の情報が入ってきます。かつては隣人の釣りの腕前を知ることが獲物の分配に有利に働いたかもしれませんが、同じ社会計や社会的比較が、いまは地球の裏側に住む著名人の私生活にも向けられます。過剰なSNS使用や「おいてきぼり」への恐怖、自尊心の低下は、そこから生じます。
同じ図式の真ん中に、悪口を置く
まず前提として、オンラインに有害な言語活動があることは認めてよいでしょう。規模や程度は答えるのが難しい経験的な問いですが、看過できない課題であることは自明としてよいでしょう。たとえばYouTubeのニュース動画へのコメント調査では、前向きな「希望的」コメントは全体の2.67%にすぎず、揶揄や冷笑が多く観察されています(和泉ほか 2024)。
では、こうした有毒性の高い言語現象はどうして生じるのでしょうか。この報告が提案するのは、図の真ん中にあるメカニズムを「悪口を言う」に入れ替えることです。悪口をそこに置けるのは、それが小さな集団で機能を果たしてきたからです。平等主義的な狩猟採集民のあいだで、悪口が社会秩序を維持する働きをしてきたという人類学的研究があります(Lee 1969; ボーム 2014; ランガム 2020)。
それによると、悪口は傲慢で暴力的な人物を牽制し、逸脱的な支配者が現れるのを防ぎます。狩りの腕前を馬鹿にして、若者が傲慢にならないよう頭を冷やさせる。そうした慣習も観察されています(和泉 2023b)。接する他者が限られた環境では、この特徴は適応的です。30名の隣人について情報を共有し、全員を小馬鹿にしていったとしても、それほど時間は取られないでしょう。
しかしデジタル空間では、社会的情報に制限がありません。ほとんど無関係な他者についての情報が大量に入ってきます。それでも「悪口を言う」という傾向性は、その新しい環境に適応しているわけではありません。同一のメカニズムがすべての入力に反応し、際限なく悪口を出力します。インターネット上の終わりなき揶揄や嘲笑、中傷や罵倒は、そのようにして生じている、というのがこの報告の見立てです。
匿名性と、一〇〇万人との会話
この報告が先行研究に足したのは、三つの別々の話を一つの図に収めた点です。進化的ミスマッチの枠組みは、ソーシャルメディア病一般のために組まれました(Lim and Tan 2024)。悪口が小集団で果たす機能は人類学で(ボーム 2014)、その言語哲学的な性質はまた別に論じられてきました(和泉 2023a)。有害な言語がなぜ際限なく産出されるのか。その見取り図がここで与えられます。ただし詳細な議論や反論の検討は、今後の課題として残されています。
ほかの言語的なミスマッチも課題として示されています。ひとつは匿名性です。言語が進化した初期の環境は書記言語以前であり、匿名性はきわめて低いものでした。ですから匿名性の高いデジタル環境では、さまざまな不具合が起きるかもしれません。もうひとつは、会話に加わる人数です。言語行為は、数名で焚き火を囲む程度の範囲で適応的に働くものかもしれません。一対一〇〇万、一〇〇万対一の会話が実現する環境は、それとはまるで違います。
有害な言語を生み出すのは人間です。ですから人間について知るためには、有害な言語の研究が引き続き必要になります。
参考文献
- Dahmardeh, M., and Dunbar, R. I. M. (2017). What shall we talk about in Farsi? Human Nature, 28(4): 423–433.
- Dunbar, R. I. M., Marriott, A., and Duncan, N. D. C. (1997). Human conversational behavior. Human Nature, 8(3): 231–246.
- Li, N. P., van Vugt, M., and Colarelli, S. M. (2018). The evolutionary mismatch hypothesis: implications for psychological science. Current Directions in Psychological Science, 27(1): 38–44.
- Lim, A. J., and Tan, E. (2024). Social media ills and evolutionary mismatches: A conceptual framework. Evolutionary Psychological Science, 10: 212–223.
- Stalnaker, R. C. (2002). Common ground. Linguistics and Philosophy, 25(5): 701–721.
- Waldron, J. (2012). Dignity, Rank, & Rights. Oxford University Press.
- Wiessner, P. (2005). Norm enforcement among the Ju/’hoansi bushmen. Human Nature, 16(2): 115–145.
- 和泉悠(2023a)「ヴァーチャル劣位化としての悪口」『倫理学年報』第72集、129–142.
- 和泉悠(2023b)『悪口ってなんだろう』ちくまプリマー新書、筑摩書房.
- 和泉悠・仲宗根勝仁・朱喜哲・谷中瞳・荒井ひろみ(2023)「AIはレイシズムと戦えるのか——自然言語処理分野におけるヘイトスピーチ自動検出研究の現状と課題」『思想』1169: 88–105.
- 和泉悠・谷中瞳・永守伸年・荒井ひろみ(2024)「ヘイトスピーチ研究のための日本語データセット」『言語処理学会第30回年次大会発表論文集』1876–1881.
- ボーム、クリストファー(2014)『モラルの起源——道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』斉藤隆央訳、白揚社.
- ランガム、リチャード(2020)『善と悪のパラドックス——ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史』依田卓巳訳、NTT出版.